厦門に来ました

42日から厦門に来ています。厦門で石材関連会社の調査をしています。日本に居るとなかなか実体がつかめなくて何を信じればいいのか分からないのが現状だと思います。

そこで、会社訪問することによって実際の状態を見て経営者と懇談することでその経営方針などをお聞きすることにしました。もちろん自主申告のデーターですのでその確認が全てできるものではありません。しかし、データーの整合性を検討すればかなりの部分は想像できるのではないかと思います。

ところで、どうして厦門に居るのだろうとお考えの方が多いと思いますので、これまでの経緯を簡単に説明します。私は庵治産地で小さな加工工場を経営していました。5年程前から時代の大きな変化を感じこれからはインターネットと中国の時代になると思いその二つのことに取り組み始めました。まず簡単に取り組めるインターネットから始めホームページの作成、更新が自分でできるようになることを目標にしました。何の知識もありませんでしたので業者からホームページの考え方、いわゆる戦略について指導してもらいました。

この時点ですでに10万円の費用が掛かりましたが一歩前進する方向性を決められたことでよかったと思っています。このころから厦門に事務所を持っている友達にお願いして初めて中国に来ました。自分で自由に好きな所へ行くために二人の新入社員をガイドとして付けてくれました。この時の私は中国の人はみんな人民服を着ているものと思っていたほど何も知りませんでした。ところが、現実の世界を見て目から鱗が落ちるとはこのことでしょうかこれからは中国の時代だと確信しました。その後何度か訪中して取引も経験していくのですが、どうしても納得できない部分がありそこを解決するには言葉の問題をまず解決することが先決という結論に達しました。中国人の家庭教師から中国語の勉強を始めました。家族3人で始めましたがすぐに息子が脱落しましたが家内が頑張っていましたのでどうにか続けていましたがそれも先生の都合が悪くなってやめてしまいました。それと同時にホームページ製作業者に基本的なページを作ってもらい後は自分で更新、追加していく方法をビデオを撮りながら勉強しました。どちらも歳がいってからの勉強ということでなかなか思うようになりません。特に中国語は聞き取ることができないので発音を真似することすらできなく情けない思いでした。この頃にはコンピュウターがそこそこ使えるようになって中国からでも日本と同じようにインターネットや通信ができるようになりました。常にノートパソコンを持ち歩きネットで情報集取すれば言葉の問題もかなり解消できました。ただひとつ出来ないのが中国にいて日本の銀行からの送金です。一部の銀行では個人口座ではできるらしいのですが法人口座ではできないと思います。今ではほとんどの情報がネットから取れるためにパソコンがなければ何も出来ないような感覚になっています。次は言葉の問題です。日本の環境の中では私の能力では無理だと思うようになり留学を考え始めました。これは大変なことです。長期間日本を留守にするのですから。仕事はどうするの・・・・。さんざん悩んだあげく仕事をやめることにしました。厦門大学まで見学にも行きましたが、このころになって庵治石に似た石が湖北省で取れているらしいという情報があり調べましたがどうも正確な情報がでてこない。庵治産地にとって死活問題になるかも分からないような情報なのに誰も正確な情報を持っていないということで急遽湖北省へ調査に行きました。そこで見た一部の石は本当に庵治石とそっくりのようでした。(後でわかったことですがほとんど騙されていた。)これは大変なことだ。厦門に留学するよりこちらで勉強しながら(あまい)情報集したほうが商売にもつながるし一石二鳥(欲ボケ)ということで湖北省黄岡市という所で住んでみる事にしました。もちろん、それなりの協力者がいたので出来たことです。厦門から通訳を半年間の契約で雇い家内と二人ででかけたのでした。

 

黄岡顛末記 

湖北省黄岡市 人口は700万人以上の地方都市で中心部の人口は30万人位です。ここには

黄岡中学がありその進学率の高さや有名なスポーツ選手を排出した中国では有名な所です。

農業が主な産業で他に石くらいしかない所です。日本人も私たち二人を含めて五人しか確認できませんでした。ですから一般の人に日本語で私は日本人だと言っても何処から来たと問い返します。ですからいつも福建とかシンガポールとか言うと納得しています。そのような所に行ったものですから当地の石材会社の社長さん達はこんな所まで来て住むのだから相当量の発注量を持っているのだろうと勝手に勘違いしていました。住み始めて一ヶ月ぐらいは雨が続き丁場に行く事ができず生活環境を整えたり工場見学に行きました。この間に仕入れた情報は後で分かったことですがほとんど偽りの情報でした。アポ無しで工場に行くと入れて貰えなかったりしたことがありましたが社長が居ない時には勝手に入って行って実態を見ました。そうこうしているうちにほとんどの所で本来の姿を見ることが出来るようになり社長さん達とも本音の話ができるようになりました。それでも、商売の事になると難しい人達でした。それとは別に一般の人達は心のやさしい親切な人が多くいてひと昔もふた昔も前の日本の田舎に似ているようでした。ここの石材輸出状況は中外運輸という船会社で聞いたところ10年前は年間500コンテナの出荷があったそうですが現在では50コンテナまで減っているとのことでした。以前は原石の輸出が多かったのですが今はほとんど無くなっている上に製品は厦門港からの輸出するようになったからだと思います。この地方で取れる原石は細目系統の石がほとんどで対応できる石種が少なく技術的にも対応範囲が狭く販売地域も限られるという状況でした。以上は2年前の2002,4月から10月にかけて得た情報です。この時、ここの加工工場はあと5年続けることは難しいだろうと友人と話ししました。現在では数社が惠安県に進出していて当地ではほとんど無くなっているようです。三ヶ月間ずつ二度に渡り黄岡で住んでみた結果は石も難しいが人も難しいという結論でした。次は崇武だ・・・・と思いながら帰国したものでした。

*黄岡での生活の様子や丁場の写真はホームページで公開しています。

 

 

帰国して

三峡観光をしてから11月中旬に帰国しました。それから10日後ぐらいから体に異変が起こったのです。なんと髪の毛が抜け出したのです。それも中途半端なものではありません。何の抵抗もなく抜けるのです。痛みも全然ありません。急いで病院に行くと重症の頭部脱毛症ということで原因の特定は難しいがたぶんストレスが原因だろうということでした。10間程で黒い髪の毛は全て抜けて白髪だけが少し残りました。あと三日間抜ければ全ての髪の毛が無くなっていたと思います。これはショックでした。まさか私にそんなストレスが有るとは思ってもいなかったからです。思い起こせばストレスの原因と言われてもしかたの無いことが沢山出てきます。文章には出来ないことが沢山あったことはおわかりください。ストレスが原因であれば気持ちの持ち方で治るはずだと思い他人が私を見る目のやり場に困るのも気にせず帽子も被らず薬も付けずにいましたが完全に回復するには一年間の時間が必要でした。そのような事情があって中国へ行くことにためらいがあったことは事実です。その間に輸入代行を少ししたりして通関費用やその他の調査をしていましたが

どうしても知りたい事が有り今回の再訪となったのです。これまでに私が感じたことで大事なことはどのような形で中国へ入って行くかが問題だと思っています。一般的には商社か工場にお願いして世話をして貰うパターンがほとんどだと思いますが、これでは私の言う日本人ルートでしかなく特別の中国しか見ていないように思います。商売上の駆け引きの中での中国だと思います。でも商売抜きでこの業界の中に入っていくことは至難の技と言う外ありません。自分の行きたい会社や見たい会社、知りたい知識などなどをそう簡単に手に入れられるものではありません。商売にならないと見切られた時点で終わりです。実際に去年のことですが崇武で待ち合わせていて肩透かしをくらった事があります。私一人で待ちぼうけです。このような経験は今回でもすでに何度か経験しています。どうすれば商売抜きで情報を得る事ができるのか。私の考えでは中国はコネとバックマージンの世界だという前提に立って何も無い所からコネを作る方法で有力者やお金持ちと知り合いになることから始めたらどうかと。私が出来る事はひとつある。ゴルフである(一応シングルです)。ゴルフ場でアルバイト(給料はいらない)しながらきっかけを作るのはどうだろうかと。さんざん馬鹿な考えをしてたどり着いた結論がマスコミの特派員の肩書きで企業訪問することだった。これは我ながらに素晴らしいアイデアだと感心してしまいました。さっそく某マスコミに相談したところ(給料はなし)簡単にOKが出ましたがその後重大な問題が出てきたのです。それは正式なマスコミの取材には中国政府の許可が必要ということです。また。レポートも検閲されるということです。これでは動けません。あきらめざるをえません。ええーい、中国へ行ってから考えよう。まずは第一歩だけでも踏み出そう。と、言う訳で厦門にいます。

 

厦門に来て

想定ではかなりの期間が掛かるだろうと思っていましたので長期滞在可能なビザを取らなくてはならないのですが日本では取得できないので香港で取得しました。これもネットのお陰で郵送で6日間という短期間で取得できました。一年マルチの滞在日数に制約の無いものです。香港でしか取得できません。二万円の費用でしたが日本で取得する半年マルチより安いです。

本来は崇武で工場巡りをするつもり(某石材の部屋を借りられることになっていた)でしたが、厦門で石材関係の日本人会を作りませんかと言うお話があってそのお手伝いのために厦門で一ヶ月間位滞在することにしました。どこか住む所を探さなければいけないのですが未だに言葉が話せませんから自力では無理です。しかし、来ればどうにかなるものです。こちらに来て初めて知り合った方が全て手配して下さり5日後には今の所に住み始めました。洗濯機、冷蔵庫、レンジなど生活用品は全て揃っています。また、多くの協力者ができて食事の注文以外にはほとんど困ることはありません。都会ですから欲しいものはほとんど手にいれられますし、交通の便もいいです。住みだしてから日本人会を作る資料がなく協力者もいない事が分かりました。これでは何もすることが無いので厦門にある石材会社の事務所を訪問することにしました。通訳がいませんから通訳のいる会社にしか行けませんがほとんどの会社には通訳がいて中には日本語の話せる社長がかなりの数いることが分かりました。平日に午後から二時間ずつ二社を訪問し夜にはホームページにアップする計画で予定を立てました。当初一ヶ月間は順調に進んでいましたが、その内訪問する企業のリストアップが難しくなってきました。事務所はビルの中にあるので外から見てもわかりませんし、突然尋ねて行っても対応してもらえる可能性は低いです。また、どうして無料でそんなことができるのか質問攻めにあい何かの信用調査で来ているように勘ぐられます。通訳のレベルによってはなかなか要領を得ません。その上、訪問できた会社からの紹介がほとんど有りません。このことは以外なことでした。普通中国の会社は横の繋がりが強く情報を共有しているものと思っていたからです。しかし、実際に訪問してみるとどの会社もワンパターンに近い返答で取引先の社名を公表する会社は皆無ですし他社の動向を詳しく知っている社長も少なかったです。しかし、大きく別けると日本の国を理解している社長とそうでない社長に、また、日本に住んだことがある通訳かそうでない通訳かに分ける事ができると考えます。日本語が分からない社長さんには通訳のレベルも分からないし通訳が客と何を話しているのか不安になることもあるようです。ある時、会社訪問の後電話があり通訳が首になりましたと連絡がありました。私との対応が悪かったのを社長が見ていてレベルの低さに気づいたようです。申し訳ない気持ちになりましたがすぐに首にすることにもびっくりしました。これ程のことは無いにしても正しく通訳しない人もたくさんいましたし、故意に伝えない人もいました。このような会社と取引すると問題が発生しても不思議ではないと思います。厦門には石材関係の貿易会社が1000社以上有るのではないかと言われていますが、実際にネットで調べてみると検索に引っ掛かるのは150社位しか有りません。その内日本とほとんど取引していない建材会社や原石販売会社がかなりの数あります。また、日本の会社の支店や営業所はほとんど検索に引っ掛かりません。検索に引っ掛からない小さな会社もかなり有るのは分かっていますがそれでも1000社は無いように思えます。また、厦門港から日本への出荷コンテナ数から考えてもそんなに有るようには思えません。某大手石材業者が二年前に調べたデーターでは厦門から2000コンテナが毎月日本に出荷されているそうです。詳しい内容はわかりませんが私が訪問した会社だけでもかなりの数のコンテナが出荷されています。その他訪問していない会社や公表したくない会社での予想出荷量を加えるともし1000社も有れば大部分の会社は何も出荷出きない月が多いことになります。。と言う訳で厦門にある石材会社で日本と常時取引している会社は多くても200社前後と思われます。また、総数も500社前後というのが妥当だと思います。その他に厦門以外に本社のある会社も相当数あると思われます。

実質二ヶ月間程厦門で取材しましたが最初の一ヶ月目位までは順調に訪問出来ましたが後は非常に確率が悪くなり限界を感じました。通訳が常勤していないとか、公表して欲しくないとか、公表できない会社もありました。現在の状況はどの会社の営業開拓もここ半年間で新規顧客をほとんど獲得できていません。電話、FAX、メールによる営業では限界を感じているようですし、すでに諦めている会社もかなりあります。それでも直接日本と取引の無い工場が新規に営業を始めています。厦門にある会社とそれ以外の会社では現状認識においてかなりのズレがあります。私の感覚では2、3年ほど工場の感覚が遅れているように思えます。進んでいる会社はすでに日本で営業しないと営業開拓はできないと認識していますしすでに多くの会社が支店を出しています。また、支店がなくてもよく日本に出張しています。今後の課題は少量、短納期、低価格、会社までの運送、日本円での請求と支払いなどがありどこまで対応出来るかによって会社間格差がついてくると思われます。 初めての一人暮らしでしたので最後まで食事には不便を感じました。ウェストが一回りも二周りも痩せました。一度帰国してリフレッシュしてから今度は崇武に行きます。(更新中)